BARおくすり店長日記

BARおくすりの店長が日常思ったことを書きます。

自分のほうを向いて発する言葉について

 

自分のほうを向いて発する言葉について。

最近、自省録を読んでいる。世界史を勉強した人間にとって、名前の長いことで馴染みがある、マルクス・アウレリウス・アントニヌスが書いた本だ。彼はローマ五賢帝の一人であり史上唯一の哲人皇帝である。そんな人間が自分のために書いた本、それが自省録である。

内容ははっきりしている。あえてつまらない言い方をすれば「自己啓発」である。

ただし、ここでの「自己啓発」は読者が読者自身を啓発するのではなく、著者が著者自身を啓発する。だから他者に向けた自己啓発本が持つ「啓蒙」のにおいが自省録にはない。それだから、さらに愚にもつかない言い方をすれば、自省録の内容は「真の自己啓発」ということになる。

ちょっとふざけた調子になってしまったが僕はこの本を読んで感動した。

 

僕がもっとも好きな話にシェイクスピアの『ハムレット』という話がある。この話は王子による復讐譚が表面にありながら、強烈なニヒリズムが根にある。何不自由ないところからくるどうしようもない倦怠。自分を誤魔化すため、意味を持つために「復讐」という動機に飛びつかざるをえないハムレット。生きるを問うという最大の厭生的態度。普遍的なテーマだと個人的には感じられることに加えて、出色であり、非凡であり、劇的である。それゆえに惹かれる。

マルクス・アウレリウス・アントニヌスハムレットと同じスタート地点に立っているように思われる。何不自由ないという身の上においては。しかしゴールとしては平凡に終わったように思う。言うことが真っ当で、どこを読んでも「結論」ありきである。つよい言説という感じがある。一見したところハムレットのようなよわさがない。錨がしっかり海底に届いている。青年の根無し草的な共感を得るのはハムレットのほうだと思う。

それでも自省録を読んでいて感動するのは、まさにそれが書かれたからである。マルクス・アウレリウス・アントニヌスはなぜ、このような断片を書かなければならなかったのか。他人に読んでもらうためではないと本人は書いている、これを書くのは自分自身のためだと。そのことを考えると内容の見え方が変わってくる。言葉によって自らを励ますことが彼には必要だったのではないか。劇的な方向にむかわず、退屈な結論を固持するのは、彼ほど特殊な人間にも簡単ではなかった。

彼は何度も繰り返している。

「死ぬことは自然なことで恐れるべきことではまったくない」。あるいは、「死後の名声を追い求めるのは過去の人に自分のことを知っていてもらいたいと思うのと同じでむなしい」。

おそらく何度も言い聞かせなければならなかったのだろう。自省録に書かれた断片をツイートを読むようにして読んでいると、ひとりの人間の個人的苦悩が目に浮かぶような気がして、詩を読んでいるような気持ちになる。そして言葉によって静かに励まされる。その励まされたという手応えが自分のことのように嬉しい。

 

 

 

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)