BARおくすり店長日記

BARおくすりの店長が日常思ったことを書きます。

人には人のモチベーション

 

「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ。」

 

夏目漱石の『こころ』を高校の教科書で読んだとき強烈に印象に残った一節だ。この言葉を符牒のようにして、当時の友人たちとお互い罵り合った。それから十年が経とうとしている。

僕は今、接客のバイトをしている。自分ができないこと・苦手だと思うことにチャレンジしたいという気持ちから接客のバイトを選んだ。初めて売り場に立った時には「いらっしゃいませ」と言うことさえ気恥ずかしかった。声のトーンが定まらない。不特定の誰かに向かって言葉を発する違和感がひしひしと感じられた。

今はそれにも慣れて、なんの考えもなく発声できるようになっている。べつに誰に言うともなく「いらっしゃいませ」と言える。客を客として扱うことに抵抗がなくなった。自分は「接客」ができるようになった。声のトーンも安定している。

できないことができるようになりたいというモチベーションは満たされた。つぎは「よりよい接客」を目指す、それが向上心ということなのだと思う。慣れてきてリラックスできるようになると、笑顔を交えながら案内できるようにもなった。「ありがとうございます」というセリフも心をこめて言えたりする。つぎは、効率のいい品出し。

しかし、べつにそれを身につけたいとは思わない。店の方を向いて仕事をする気にはなれない。自分にとっての最終目標は客の満足、というか客と自分との良好な(その場限りの)関係であって、店の利益とか予算ははっきり言ってどうでもいいからだ。

個人的なモチベーションはあくまで個人的であってそれ以上にはならない。向上心も基本的には同じだと思う。社会的な向上心というのは見たことがない。向上心というものはよくもわるくも自律的なんだと思う。

どうしてそんな当たり前のことを言い出すかといえば、仕事を教えてくれる先輩にとてもいい人がいて(職場の全員から慕われ信頼されている。その上おしゃれ)、彼が僕にモチベーションの話を持ちかけてきたからだ。彼は「ただ仕事の内容を教えるだけではなく、どう言えば相手のモチベーションを上げられるか。伝え方も大切にしている」という旨の話をしてくれた。僕自身、「教える」ということを最近のテーマにしているのでこの話には食いついた。でも折悪しく客が来たのでそれ以上の話をすることができなかった。

まずは反論がある。「人には人のモチベーションがある」というのがそれだ。たとえば僕は職場で「やる気がない」と思われているふしがある。はっきり言ってそのとおりだ。そのとおりなんだけど、そのとおりではあるんだけど、「やる気がない」というのはちがう。自分のなかではちゃんとルールもあるし、こうなりたいという理想のビジョンだって明確にある。ただ相手方の言い分を然りとする理由もあって、相手方には相手方の期待があり、それに沿うかどうかでやる気の有無を評価するのも当然のことだと思う。たとえば自分のルールでは就業時間を超えては働かないという努力目標があって、自分はそれをかなりの程度忠実に果たしているが、そのことイコール「やる気がない」と判断されないまでも、周囲が皆、終業時間を超過して働いている(いわゆるサービス残業)のと比較すると、相対的にやる気は感じられにくくなるのももっともだと思う。というか、みんなのやる気がすごい。

ただ、スピーディに業務をこなすことに集中するあまり、肝心の「客の応対」がおざなりになっているのを目にすることがある。自分は「客の応対」という一点にほとんどの集中力を割いているので、こなす業務の量は相対的に少ない。そしてそれでいいと思っている。どちらかを捨てることになるなら迷わずスピーディを捨てる。はっきり言って、客の応対がおろそかになるようでは販売員の存在価値はないと思う。

こういう奴に「やる気出せ」と言ってもしょうがない。そう言われても本人は「やる気あるけどなあ」と思うだけである。たぶんおしゃれな先輩は「正しいモチベーション」を向上させたかったから僕にモチベーションの話をしたんだと思う。でも正しいモチベーションというのは僕にとっては僕のモチベーションで、他人のモチベーションではないから、最初から噛み合わないで終わってしまう。我ながら厄介だと思うけどしょうがない。

僕の結論はこうだ。他人のモチベーションを上げようとするのは基本的に相手を舐めた行為だ。お前には真っ当な向上心が不足しているというに等しい。

しかしながら、それはするべきではない、とも思わない。

真っ当な向上心が不足するなんてことはざらにあるからだ。いつも馬鹿な人はそんなに多くないけど、いつもいつでも馬鹿じゃない人はもっと多くない。恒常的な向上心だけが向上心ではないし、いいときは褒めてわるいときは叱ることで他人の手助けになるならべつに舐めててもいいじゃないか、と僕なんかは思う。

真っ当な向上心を持つ人はたとえば僕のケースではこう考えるはずだ。「お客さんにできる限り丁寧に応対し、なおかつ、できる限りの業務もこなす」

あと、人のモチベーションを上げるのはめちゃくちゃ難しい作業というわけでもないがそれなりに神経を使うのも確かなので、少なくともその心配りには感謝するべきだなあと思う。

…そうすることで舐め返すのだ。なんでも舐めようとするのは衛生的ではないが、精神的に舐める分には精神的に衛生的だ。

 

 

こころ

こころ