BARおくすり店長日記

BARおくすりの店長が日常思ったことを書きます。

ティエリ・アンリの現役引退について

先日、フランスのサッカー選手ティエリ・アンリが現役引退を発表した。

 

一番好きな映画は?と訊かれても、一番好きな本は?と訊かれても、即答することはむずかしい。好きな映画も本もたくさんあるからだ。そんな僕にとって、一番好きなサッカー選手は?という質問だけは一瞬も考えることなく即答できる。それが「ティエリ・アンリ」だった。

僕はサッカーというスポーツがスポーツの中でも格別好きだ。そのきっかけになったのがアンリだった。今では日本中がワールドカップに熱狂するなど、サッカー人気はとても大きなものになっているから、もしアンリと出会わなくても僕がサッカー好きになっていた可能性は大きい。実際、日本代表チーム「ザックJAPAN」にはアーセナルに対する愛着にも負けないぐらいの愛着があった。しかし、もしアンリとの出会いがなかったら、今サッカーが好きなようなサッカー好きではなかったのは間違いないだろうと思う。そういう意味でアンリは僕のサッカーファン生活の原点だといえる。

アンリを知ったきっかけはサッカーゲームだった。DFを置き去りにするスピード、シュートの異常な精度、パスを受けるトラップテクニック――、すべてのパラメータがほとんどMAXに近い選手だった。ゲーム初心者でもありサッカー初心者の当時の僕は「作戦アンリ」を実行して試合に勝っていった。「作戦アンリ」とはボールを手に入れたらとにかくアンリにパスを出してドリブル→シュートを繰り返すという作戦ともいえないような作戦だったが、それで点は獲れた。それほどそのサッカーゲームにおける「ティエリ・アンリ」はずば抜けた存在だった。サッカーの戦術を理解し始めて「作戦アンリ」を封印したあとになっても、どうしても一点がほしいときにはアンリにパスを出した。

そんなこんなでいつの間にかアーセナルのファンになり、無敗優勝を我が事のように誇りに思い、シーズンハイライトのDVDやアンリのゴール集のDVDを買ったりして、ますますアンリ=アーセナル=サッカーにのめり込んでいくうちに、ゲームの「作戦アンリ」が現実のサッカーの試合でも起こっていると知るようになった。

試合をハイライトではなくLIVEで見ると、次に起こる出来事は予測できない。誰がボールを持っても、シュートまで行けるかドリブルで相手を抜けるかパスを通せるかは未知数だ。それがLIVE観戦の醍醐味でもある。先がどうなるかわからないからこそ、一本のシュートに熱狂したり落胆したりする。だけどアンリは何かが違った。彼がボールを持ったときの、それを観ている感覚というのは不思議なもので、うまく説明できないのだが、LIVEで観ているのになぜか半分ハイライトのように見える。結果があらかじめわかっているような錯覚に陥る。アンリがドリブルで勝負を仕掛ける瞬間にはもう相手DFを抜いている”画”が見えたし、左斜め45度のアンリゾーンからシュートを放った瞬間にはボールがネットに吸い込まれていく様子が逆再生のように感じられた。ネットの内側、ボールのあるべきところに帰っていくようなシュートだった。そういうビジョンは僕の人並み優れた想像力の産物、だったらいいのだが、そんなことはなく、おそらくアーセナルファン(もしかすると相手チームファンも)全員が同じような見え方をしていたと思う。事実、アンリが前を向いてボールを持ったときのスタジアム全体が息を呑む雰囲気には独特なものがあった。「予感」を全員で共有し、身体が勝手に歓喜の準備を「完了」していた。しなやかに動く四肢、エレガントの域まで洗練された無駄のない動作、サイドネットに転がっていくボール、すべてがアンリ一人のコントロールのもとにあった。ゲームのアンリは少しも誇張ではなかった。「作戦アンリ」は実際に何試合もあった。

僕は今もサッカーが好きだ。アーセナルというチームが好きだ。しかしアンリがアーセナルから去った時、アーセナルが好きだという気持ちの半分も去って行ってしまった。

そしてアンリはサッカーから去った。今回も僕のサッカーが好きだという気持ちの半分は去って行くだろうか。アンリは僕のサッカーが好きだという気持ちの半分を持って行ってしまうだろうか。