BARおくすり店長日記

BARおくすりの店長が日常思ったことを書きます。

 

色が強烈に目に入ってきて何ともうるさい時がある。かと思えば、色が目に入っているのに見えていないようなぼんやりした時もある。色に集中している時とそうでない時には同じものを眺めてもまったく違うもののように感じられる。そう思うと、感じることなんて神経の作用に過ぎない、という情けない気持ちになる。

生きていると集中している時間なんてあっという間に過ぎていく、ぼんやりしていてもあっという間に過ぎていく。集中していた時間を思い出そうとしても正確に思い出せないし、ぼんやりしていた時間は思い出すことさえむずかしい。色を見ている時の強烈な印象というのは改ざんされた記憶に過ぎないのかもしれない。フィクションの領域というか、ぼーっと見た色の瞬間から逆算して、凡庸なものから過度に対照的なイメージを勝手に作り出しているのだ、そう聞かされてもすんなり受け入れてしまいそうだ。

それでも叫びたいような瞬間というのは時たまあって、逆説的だけれども、それがあるから叫ばずに済んでいる、なんとかかんとか生活していけている。そういうつよい色の感じはどうしても必要なんだと思う。灰色の恐怖というのがあるからこそ、色へのモチベーションも持っていられる。

よく目を凝らさないと見えない色がある。漫然と見ているだけでは絶対に見えない色が。そういう色を見つけにいく旅というのは、螺旋状で、外へ外へ広がっていくのと並行して、内へ内へ渦巻いていくものなのだと思う。あまりに個人的すぎて、あまりに神経的すぎる旅。

どこまでいっても神経の作用に過ぎないとしても、いくら情けなく思っても、行けるとこまで行きたいし、もっと言うと、行けるとこ以上のとこまで、どこまででも行きたい。

今見えない色をどうしても目にしてみたい。昔見た色でも、これから見る色でも、これ以上無いというほどはっきり強烈に見て取りたい。その色をずっと憶えていられるよう、目に焼きつけたい。

凡庸な、自動的に目に映る、ぼんやりした、でも充分カラフルな色の世界で、叫ばずにいられるように強いてそんな風に考えているのだとしても、僕はそんな僕を責めるわけにはいかない。僕にそんな僕を責めさせるわけにはいかない。

だから色のことを考える。遠くの色のことを。遠く離れたところにある、見かけの美しい、ある色のほうを見る。それが何色なのかはわからないけれど、とにかくその方向に目をやる。