BARおくすり店長日記

BARおくすりの店長が日常思ったことを書きます。

映画「パーマネント野ばら」を見た

 

吉田大八フィルムはすばらしい。「パーマネント野ばら」を見てその思いをつよくした。

今回の記事はネタバレに配慮しないで書くので、そういうのを気にする人は読まないほうがいいかもね。しかしそれとは関係なくパーマネント野ばらおよび吉田大八監督の映画はぜひ見てほしいと思う。一番有名なのは「桐島、部活やめるってよ」。映画好きという人種はもう見ているに違いない映画だけど、そうじゃない人にもぜひ見てみてほしいと僕なんかは思う。

「パーマネント野ばら」は2010年の作品で西原理恵子の漫画を原作にとる。吉田大八監督は原作の映像化をとてもうまくこなす。原作を素材として料理するようなもので、料理というのは素材選びから始まっている、という料理の鉄人的発想に通ずるところもあるのだろうか、原作のチョイスの仕方がうまいんだろうなと思わさせられる。おいしい食材を、それでいてなお味つけの余地があるものを選んでいる気がする。映画が原作を超えるというのは稀なことだが、吉田大八映画の場合ことごとく、原作を上回る部分を持っている。

「パーマネント野ばら」は漫画的な設定が目立つ物語で、そこはコメディの調子で撮っている。それはちょうど映画の導入にもなっていて、特異な状況の説明をしながら自然に興味を引かれるようなうまい構成だと思った。とはいえ、それは教科書的な範囲でのうまいであって(それができていない代物が多すぎて相対的にうまいのはうまい)、舞台背景に馴らされてからが真骨頂だ。登場人物たちが種々様々な不幸にまみれ、それをなだめたりすかしたり、見守ったりする主人公の献身、という基本ラインで物語は展開していく。そしてそれがまるまま伏線でもある。

 

***

 

「きれいはきたない、きたないはきれい」なんていう言葉もあるが、この映画を見ると「きれいはあやうい、あやういはきれい」と言い代えたくなる。なんといっても主演の菅野美穂である。

物語中、唯一まともでツッコミ役というか物語的には狂言回しのような存在だった主人公のなおこが、じつは虚構の世界の住人だったという事実。その事実の描かれ方。あやうい、あまりにもあやうい、とびきりの笑顔。このあたりのコントロールのされ方が完璧で、監督の冷徹さ加減がすごい域に達していると思った。展開の妙なんていうものではない、鬼気迫る迫力が画面に迸っていた。大量の血糊よりも一本の青筋というか、精神的出血ムービーとでも名付けたいような、リアルで虚構な「痛み」の感覚。反転する虚実の中、裂けた心の断面を見せつけられてどちらにも行けない、どちらも選べないおそろしい浮遊感。そういう混乱の象徴としてのかわいい笑顔。とにかく、非情なまでに「かわいい」に収束していく。それは救いなのかその逆なのか、もはやわけがわからない。「かわいいは正義」なんていうふざけた言葉もあるけれど、本当に、菅野美穂の見かけがかわいいことがこの映画の最後の良心なのかもしれない。

ひどい話だよね。