映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を見た
映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を見た。とってもおもしろかった。
主人公がマジで下衆なので合わない人には合わないだろうと思うけど、僕は思いっきり笑った。
賛否別れる作品だとは思う。下品なものが無理な人や規範意識が広すぎる人は見ないほうがいい。
でも、そういうそもそもこの映画が向いていない人でなくても、下品ウェルカム、規範意識のコントロール自在という人でも否定的な意見を持つにいたるケースがありそうな気がする。
つまり、「金がすべて」とか「金さえあれば何でも買える」という台詞を笑える台詞として捉えられるかどうかによってこの作品の評価は大きく分かれそうな気がするのだ。おそらくだけど、それらの言葉を本当のリアルとして考える人間にとっては冗談じゃない、笑い事じゃない、と腹が立ってしまう場合もあるんじゃないだろうか。劇中のセックスとドラッグについてはメーターが振り切れている描写が続くのでブラックにせよ明らかにコメディと全員に分かりそうなものだが、「お金」についてはドラッグやセックスと同じ笑える扱いにしにくい人が案外いるかもしれない。メーターは振り切れているのだけど。
そこがこの映画のゴールデン何とか賞的な見せ場のような気がする。「お金」の特別さを突きつけるという意味で。
アカギ的な世界観、ウシジマくん的リアリティを強く感じる人たちは、ドラッグのおふざけを許せても、女遊びのおふざけを許せても、「お金」に関するおふざけだけは「許せない」となる。そういう価値観のアンバランスさというか、お金を不当に高く見る見方に対して哄笑を浴びせかけるかのような演出に胸がすっとした。
この映画は男の欲望を公平に取り扱っているように感じる。ルサンチマンも含めて全部を笑い飛ばそうとするかのように思える。
もしかするとこの映画の主人公、ジョーダンベルフォードに対して嫉妬を抱く人のほうが健全なのかもしれない。それに比べると、ジョーダンベルフォード側の人間が作ったショウに対して一緒になって笑ったり、バカだな〜と笑ったりするのは不健全なことのように思えたりもする。もっというと、「お金」を笑うというのは、僕が思う以上にみっともないことなのかもしれない。
今、そのことについてちょっと考えてみた。手を止めて2分間ぐらい。
全然違う。やっぱりそんなことなかった。どのような意味においてもジョーダンベルフォードに向って真剣な顔で何かを期待するのは間違っている。彼はおもしろい人間なのだから笑って見てればいい。笑えばいいと思うよ、だ。
どちらのほうが健全かというのはどうでもいいことで、まあ笑い飛ばす接し方のほうが安全だとは思うし、健全なのはこっちのほうだと僕は思っているけど、バランスを考えたり周囲の空気を読んで爆笑したり声をひそめて笑えばいい。
ただ「笑う」ってことほど品を要求する行為はなくて、上品にとは言わないまでも下品にならないように気をつけて笑っていたいとは思う。で、この映画の感覚、スコセッシの感覚は上品だったと思うので見習いたいところがあるなと思ったりした。
こんなに下品な題材を使ってここまで上品な態度というか姿勢を感じさせるのは「巨匠」のネームバリューだろうか。それとも下品なキャラクターたちばっかり登場するから真っ当な感覚が上品に思えるだけの話だろうか。
でも地下鉄の車内のカットとか、オフィスの喧騒とか、ラストカットとか、ところどころにどこか非凡な上品さが漂っていると思った。感動のスピーチの取り扱い方も最高だったと思う。
ただ、【よだれフェイズ】のディカプリオとジョナ・ヒルの喧嘩が最高に最低で、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の魅力はあくまでそのバカバカしさにあると思う。
The Wolf of Wall Street Official Trailer - YouTube
黄色いバックに黒字という色使い好き。べつに虎ファンでもロフトファンでもないけど。
ああそういえば黒田硫黄の漫画は大好きでめっちゃファン。「あたらしい朝」ビビるほど面白かった。